ごめんなさいは誰のため?

息子が最近急に「ごめんなさい」を言うようになってきました。駄々をこねて泣いてしまった後や、ボールを投げたら人の顔の近くに飛んでってビックリさせてしまった時などです。「ごめんなさい」の意味と使うタイミングを理解したので、使いたくてしょうがない、みたいな感じに見えます。

ある日、お風呂が嫌でダダをこねた日があったのですが(最近いつもこうですが…)、散々泣きわめいても入ろうとしないので無理やり脱がせて入れた後、しばらくして

「おかあしゃん、ごめんねぇ。」
「ごめんねぇ、ふたりとも。」

と急に言ってきたのです。こんなことは初めてだったので夫も私もビックリしてしまったのですが、思えばその時から「ごめんね」「ごめんしゃい」を連発するようになったように思います。

言えるようになったとは言っても、まだ気が向いた時だけという感じです。それにこれはほんとに最近の話で、ついこないだまで息子は全然ごめんなさいが言えませんでした。

「ごめんなさいは?」という声かけ

子どもが何か困ったことをした時、「ごめんなさいは?」という声かけをしている場面をよく見ます。悪いことをしたら謝る、ということをきちんと教えようとする親心だと思うのですが…

「こんにちは」「バイバイ」といった普通のあいさつや「ありがとう」とは違って、「ごめんなさい」というのはちょっと扱いの難しい言葉のような気が個人的にはしています。というのは私自身が「ごめんなさい」の言えない大人だからなのですが(恥ずかしい…)

だから、こういう声かけをしている場面を見るとちょっとハラハラしてしまうのです。

「ごめんなさい」を言うのは、大人だって勇気がいります。自分さ非を素直に認めて、相手にその気持ちを伝えるというのは、ある程度精神的に大人じゃないとできないんじゃないでしょうか。少なくとも私にはできません()。自分の非を認めるって、負けを認めるみたいな感じで(ほんとは違うんですけど)、けっこうプライドに関わる問題だったりしますよね。

素直に謝ると心が軽くなる

それでも最近、少しだけですが「自分の非を認めて謝ること」ができるようになってきました(主に夫婦喧嘩の時)。そうなってみて気づいたのは、素直に謝ると心がスッキリ軽くなるんだなあということです。

ケンカした時や、自分の失敗で相手に迷惑をかけてしまった時、「でも相手にも非があったし…」などと自分に言い訳してなかなか謝れなかったりするのですが、そういう時も実は「自分が悪かったなあ」という気持ちが心の中にモヤモヤしています。その罪悪感を無視して意地を張り続けると、余計に状況を悪くさせてしまったりします。でもそこでひと言謝ってしまえば、相手が許してくれるかどうかは別にしても、自分の気持ちは軽くなるんだということに気づいたのです。

そんなことに気づくのに30年以上かかってしまったわけですが、ともかくこれは私の人生の中でかなり大きな「いい気づき」でした。そしてこんなにいいことなら、子どもにも教えてあげたいなあと思ったのです。

なので、子どもに「ごめんなさい」を教える時は、まず「ごめんなさいを言うと心がスッキリするよ」ということを教えてあげたいなあと思いました。

子どもはけっこう色々わかってる

これは息子を産んだ産院の助産師さんから言われたことなのですが、赤ちゃんというのはまだ思いを外に表せないだけで、たくさんのことを考えてるし、わかってるというのです。

息子を産むまで、私は特に子ども好きということもなく、赤ちゃんなんてどう接していいのか、そもそもどういう存在なのかわからない、と思っていました。でもこの話を聞いて、実際に助産師さんの赤ちゃんへの接し方を見ていると、なるほどこういうことか、と考えが変わっていきました。

その助産師さんは赤ちゃんに対してとても敬意をもって接しているように見えました。何をするにもまず話しかけ、「オムツ替えようか」「ミルク飲むか」などと赤ちゃんに了解をとってからお世話をしていました。そして私にも家に帰ったらそのようにお世話するように言いました。そういう目で見ていると、息子は生まれたばかりでしたが、ちょっと何かを考えているような、周りを観察しているような感じにも見えました(見えただけです、あくまで)

新生児の息子が実際何かを考えていたのかはともかく、ずっとそのように接してきて思うのは、たしかに子どもは大人が想像するよりずっとたくさんのことを考え、理解しているということです。息子が大きくなるにつれ、その思いは強くなっています。

なので、例えば水をこぼしてしまったとか、思わず人を叩いてしまった時、子どもはちゃんと「やっちゃった!」と思っていると思うんです。こぼれて広がっていく水や、周りの大人の反応を見て、「何かよくないことをしてしまった」というのは多分感じ取っています。もしかしたら、心が痛んだり、反省したり、何でこんなことしてしまうんだろう、と傷ついているかもしれません。

そんな時にもし、大人が怖い顔で「ごめんなさいは?」と言ってしまったらどうでしょうか。それは傷ついた心に追い打ちをかける言葉な気がします。

プライドを傷つけてしまうかも?

先日、映画「万引き家族」を見ていたらこんなシーンがありました。

主人公一家のお父さん(リリーフランキーさん)が、ある日虐待されていた女の子を見かねて家に連れて帰ります。でも他の家族はとても育てられないと受け入れません。仕方ないのでとりあえず泊めたその夜、女の子はおねしょをしてしまいます。大騒ぎになり、家族みんなでバタバタと片づけをする中、一家のお母さん(安藤サクラさん)が、うつむいて黙っている女の子に「ごめんなさいは?」と怖い顔で言うのです。女の子は小さな声で「ごめんなさい」と答えました。

このシーンは見ていてとても胸が痛みました。親に虐待されていた女の子は、ひどい親から離れて知らない家に来て、でもあまり歓迎されていなくて、おねしょまでしてしまって、明らかに混乱して傷ついています(おねしょって子どもにとってかなり恥ずかしいことだと思います)。そこをフォローもしないで「ごめんなさいは?」なんて迫らなくても…と思いました。

まあ一家にとってはまだ他人だから迷惑でしかないし、言いたくなる気持ちもわかるのですが、子どものプライドを傷つける声かけだなあと思ってしまいました。思わずそばにいって背中をなでてあげたくなるシーンでした(映画自体はとてもいい映画だと思います )(その後女の子は家族になります)

このように、子どもが何かやらかしてしまったタイミングというのは、うまくフォローしてあげないとプライドを傷つけてしまう可能性があると思います。「ごめんなさいは?」という声かけにはどうしても責めるような調子が出てしまうので、避けた方がいいんじゃないかと思ってしまいます。

子どもはダメとわかっててもやめられない

子どもは色々わかってるとは言っても、息子はまだ2歳なので、しょっちゅう困ったことをしてしまいます。ダメと言ってるのに物を投げたり、さわってほしくない物をさわったり、テーブルの上に立って何度言っても降りなかったり。夫の顔をばちんと叩いたり、私にオモチャを投げつけたりということもしょっちゅうです。

でも子どもなので、ダメと言われてもやめられない、頭ではわかってても体が動いてしまう、というのはしょうがないと思っています。前に断乳のことで助産師さんに相談に行った時、いたずらばかりする息子を見て「まだ頭と体がうまく統合できてないから」とおっしゃっていました。それを聞いてから、困ったことを繰り返してしまう息子を見て「わかってるけどやめられないのかもな」と思うようになりました。

イヤイヤ期に「ごめんなさいは?」で素直に言うか?

また、言葉が通じるようになる頃というのは、世に言うイヤイヤ期とばっちり重なります。言葉とともに自我も発達してきて、「こうしたい!」「したくない!」というのをはっきりと主張し始める時期です。

そんな時期の子どもに「ごめんなさいは?」と言って素直に「ごめんなさい」が出てくるわけないと思うんです。何を言われたってとりあえず「イヤ!」と答える時期です。最初からそういうものだと割り切ってしまえば、がんばって無理に「ごめんなさい」を言わせなくても、別の声かけの仕方があるように思います。

どちらも引くに引けなくなる

それに、「ごめんなさいは?」に対して「イヤ!」と来られると、大人も引くに引けなくなってしまうんですよね。なぜならそこで引いてしまうと「癇癪を起こせば大人が折れる」と子どもに教えることになってしまうからです(単純に大人もムキになるからというのもあります)。

どちらも引かない膠着状態になってしまうと、力(立場)の強い大人がどうしても力ずくで言うことをきかせることになってしまいます。厳しく叱って泣かせたり、じゃあ知らない!と冷たくしたり、大人は子どもに対して言うことをきかせる手段がたくさんあります。でもそこで無理やりに子どもを負かしてしまうのは、ここでもまた子どものプライドを傷つけてしまいかねません。自分より強い存在に力ずくで負かされる経験が、子どもの心の成長の役に立つでしょうか。

イヤイヤ期くらいの子どもに対して「ごめんなさいは?」→「イヤ!」の流れは不可避だと思うので、その後の膠着状態を避けるためにも、最初から別のアプローチをするのがいいと思います。

ものを教えるタイミングではない

また、子どもが何かを失敗してしまったとか、ついやってはいけないことをやってしまった時というのは、混乱してショックを受けているので、そもそも何かを教えるタイミングではないと思います。

例えば子どもをお風呂に入れたい時とか、おもちゃの片づけをさせたい時など、何かをさせたい時はなるべく機嫌のいいタイミングを見計らうと思います。機嫌のわるい時や混乱している時に何かをさせようとしても、大体激しい抵抗にあって終わりです。ごめんなさいを教えるのは大切なことですが、そもそも子どもが失敗してしまって動揺している時に、「〇〇して」という声かけが成功するはずがないと思います。

子どもの「わるいこと」はたかが知れてる

そもそも、小さな子どものする「わるいこと」なんてたかが知れています。せいぜい水をこぼしたり、壁に落書きしたり、机に乗ったり、物を倒したり壊したり。大人がされて困ることばかりです。固いものを投げたりなど、人にケガをさせかねない場合には厳しく教える必要があるかもしれませんが、せいぜい大人が困るようなことなら大したことはないんじゃないでしょうか。大人がされて困ることは、先回りしてできないようにしておけばいいのです(触られたくないものは隠す、落書きされたくないならクレヨン等は渡さないなど)。

例えば2歳くらいの子どもに叩かれて、謝らないから許せない、なんて大人がいるでしょうか。赤の他人ならわかりませんが、身内なら大目に見ると思います。よその子を叩いてしまった場合も、親が「ごめんね」と謝ればいいんだと思います(その子の親にも)。相手も子どもですし、本人が謝ったかどうかなんてあまり気にしないと思います。

つまり、大人なら話は別ですが、小さな子どもが何かしたときに、本人が謝ったか謝らないかなんて相手にとっては大した問題じゃないんじゃないでしょうか。小さな子どもの行動の責任は親にあります。必要なら親が謝ればいいのです。

なので、子どもの「ごめんなさい」は、相手の気持ちのためというより、あくまで本人の気持ちのためと思っていいんじゃないでしょうか。大事なことは、もっと大きくなった時に素直にごめんなさいと謝れる人になっていることです。子どもが何かしてしまった時、その場で謝ったか謝らないかを問題にするよりも、まずしてはいけないことを教え、それから「ごめんなさいを言うと心が軽くなるよ」ということを教えるチャンスととらえたらいいのではないかと思います。

どうやって教える?

言葉がある程度通じるようなれば、ごめんなさいという言葉をすでに知っていて、その意味も大体わかっていると思います。普段の会話でも出てきますし、教育的なアニメにもキャラクターがちゃんと謝る場面が出てきます。それでも実際に自分から言うのは難しいかもしれませんので、大人が教えてあげることは必要だと思います。

私がしている声かけのタイミングは、やはり子どもがなにかやらかしてしまった時ですが、言うか言わないかはその時の状況を見て決めています。

例えば私が目を離した隙にコップの水をこぼしてしまった時など、「ほあ!こぼえちゃったよ(ほら!こぼれちゃったよ)」とあわてて言いにきます。わざわざ言いに来るのは、やっちゃったなあと自分でわかっているということなので大して注意しません。こぼしそうなところに水を置いておいたのは私の落ち度だし、水をこぼすのは悪いことというより、大人がされて困ることなので、あまり強くは言いません。「あーこぼれちゃったの」と、困った感をアピールする程度です。

でも例えば、私に向かってオモチャを投げてきて痛かった時などは、わざとでなくても危ないので「ダメよ!」と注意します。そうするとうつむいて伏し目がちになって、不服なような、傷ついたような表情をして黙りこみます。そういう顔を見たら、(謝るのはイヤだけど、わるいことしてしまったと思ってるな)と判断して「そういう時はね、ごめんなさいって言うんだよ」と優しく声かけします。それでも大体「やだ!」と返ってきますが、そうしたら「やだ?そっか。じゃあもうしないでね」と言うと、「もうしない!」と答えます。もうしないなら大人としてはもはや怒る理由もないので、それでおしまいにします。

ここでのポイントは「もうしない」という約束を落としどころにするところです。ごめんなさいのタイミングを教えることはできたので、もうこれ以上話を長引かせる必要はありません。子どもの「やだ!」を一度「そっか」と受け入れておけば、次の「じゃあもうしないでね」が比較的受け入れられやすくなります。

もしこれも「やだ!」と言ったらそれ以上押さずに「やだ?そっか、でもこれはしちゃダメなんだよ」と言っておいてから「さ、ちょっとお母さんここ片づけようかな」などと話を変えます。子どもの「やだ!」とは無理に戦わずに、とにかくごめんなさいのタイミングを教えることを目標にします。

大人も謝る

また、大人も普段からごまかさずに、子どもに対して謝るというのも大事だと思います。

以前、息子をとんでもない大声で怒鳴ってしまったときに、怯えて目も合わせてくれなくなってしまった時がありました。その時は本棚の本を息子がばらまくので頭にきて怒鳴ってしまったのですが、息子が荒れていたのには理由があり(日中色々と連れまわしたせいで昼寝が短かった)、しかも息子の手が届くところに本が置いてあったので、大人の落ち度が大きかったのです。それで、後になって反省して息子に対して「ごめんね?」と謝ったのですが、その時に「ごめんね」の意味を理解したような節がありました。→息子を怒鳴ってしまった話

大人は子どもより立場が強く、より知恵も回るので、自分の落ち度を隠すことができてしまいます。私もついやってしまいますが、でもそこをごまかさずにちゃんと謝ることで、子どもにごめんなさいを教えることができるのかもしれないと思います。

ごめんなさいは子どものため

ごめんなさい、と素直に謝るのは大人でも難しいものです。

だからこそ小さいうちから教えなければ、という意見も一理あります。「おはよう」とか「こんにちは」といったあいさつのように「ごめんなさい」が言えるようになっておけば、もしかしたら後々苦労しないのかもしれません。

でもそれよりも私はまず、ごめんなさいを言うと心が軽くなるよ、ということを子どもに教えてあげたいと思うのです。そうすれば、子どもから自発的にごめんなさいという言葉が出てくるかもしれません。実際、冒頭のイラストのように最近息子はごめんなさいを言えるようになってきて、1人でやってるごっこ遊びの中でも「ごめんねぇ」というセリフがよく出てきます。

私は身内に「(息子を)甘やかしてる」とかたまに言われて、自分でもそうかなと少し思うのですが、それは子どもの心が柔らかくて傷つきやすく、丁寧に扱ってあげないと後々大変なことになるということを身をもって知っているからです(私が子どもの頃はそういうことは多分言われてなかったので、厳しく育てるのがいいことだったのだと思います)。子どもの心は放っておいても育つのではなく、大人が見守って、適切なタイミングで受け止めたり背中を押してやったりしないと、自尊心も意欲も育たないのではないでしょうか。なので、人から見ればもしかしたら過剰に思えるくらい、子どもの心について考えてしまいます。

ちょっと極端な部分や、考えすぎなところもあるかもしれませんが、あくまで個人的にこう思うという立場で書いてみました。息子はまだよその子に謝ったりはできませんが、これからそういう場面に遭遇した時、ちゃんと謝るタイミングを教えてあげられたらと思います。

長々と書いてしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

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